方向性の定まらない若者分科会と、その試行錯誤の日々

 先日、北京セッションが無事終了しました。文字通り朝から晩までの徹底的な議論、長城の名所・八達嶺へのワンデイトリップ、中間発表に向けたプレゼンテーションの準備、そして延泊希望者は北京観光と、たいへん充実した日々を過ごしました。

 

●若者分科会の議論の流れ

 私の属する若者分科会では、北京セッションにおいて「職業選択」(個人)と「ステレオタイプ」(社会)という二つの側面から、私たち自身を含む日中の若者の考え方の異同、ならびにそれらを支える根源的な価値観を、明らかにしようと試みました。

 …この一文にたどり着くまでに、どれほどの時間を費やしたことでしょう!

・議論初日、二日目

 分科会全体の目的の明確化・共有と、それを達成するために取るべき方法論という、議論の前提をなす部分について議論を行いました。半日くらいで片が付き本題の面白い議論に入れるだろう、誰もがそう楽観的に捉えていました。ところが、その目的の共有こそが大きなネックであったのです。東大生は、当団体の代名詞ともなっている「価値観の議論」、具体的にはWHYを聞き続けることで個人の価値観を掘り下げ気づきを得ること、を主張しました。それに対し北京大生は、それでは個人的に過ぎ、十人の意見だけから一般的な結論を導き出すのは困難だから、日中の社会差に着目すべきだと主張しました。目的と方法をめぐるこの議論は、二日間平行線を辿りました。それもそのはず、どちらの意見も極めてまっとうなものであるからです。どうやったら東大生・北京大生が共に楽しめてかつ有意義な結果を出せる議論ができるのか―深夜まで調整を重ねる日々が続きました。

・議論三日目

 抽象的な議論に限界を感じていたこともあり、両大学の学生が強い問題意識を持つテーマであるキャリア選択を扱うことで合意しました。この議論の目的は、人生の選択において自分が何を重視しているのかを認識し、また北京大生の持つ全く異なる価値観に触れ新たな気づきを得ることです。私たちは、各人のキャリア選択に対する理由を九つの価値観に分類し、参加した東大生・北京大生がどのような価値観を重視する傾向にあるのかを、それらの価値観への順序付けを集計することで明らかにしました。その後、両大学間で有意な差の見られた「経済的安定を求めるかリスクをとるか」という価値観対立を取り上げ、理由を掘り下げました。すると、自国経済の発展に対する自信或いは不安が大きくこの問いへの答えに影響することが判明しました。そこで、経済的要素を捨象するため「給与一定制(平均程度の賃金)と、最低賃金+業績ベースの変動給与制のどちらを選ぶか」と質問を改めたところ、日中間に差のない結果となりました。ここから、安定に対する考え方は本質的に似通っている、という発見を得ることができました。

・議論四日目

 日中社会に対するステレオタイプを議論の対象としました。この議論は、相手国に向けた自分のステレオタイプを修正してもらうことで、日中社会への相互理解を深めることを目的としています。北京セッションでは、家族や同僚といった周囲の人々との関係の捉え方に注目しました。まず家族に関しては、中国人は親を大切にするというステレオタイプに基づいて、「家族に近い地方都市で平均程度の収入の仕事に就くか、家族から離れた大都市で高収入の仕事に就くか」という質問を投げかけました。すると、北京大生含め全員が後者を選択し、東大生は驚きを隠せませんでした。儒教的価値観に反するのではないかという問いに対し北京大生は、儒教的な「孝」の概念は、親に盲目的に従うという古来の教えから、合理的計算のもと結果的に親を幸せにできれば良いという考えへと変化しつつある、という壮大な意見を述べてくれました。また同僚に関しては、日本人は飲み会など職場の付き合いを断れず、その背景にはピア・プレッシャーや厳しい上下関係がある、というステレオタイプが北京大生から挙げられました。そこで、「あなたは会社の新入社員とする。周り全員の同僚が行く徹夜の飲み会に、あなたは最後まで参加するか」という問いを投げかけました。この投票結果は、殆どの東大生は参加し、北京大生は誰も参加したがらないという予想通りのものとなりました。ところがその理由を深掘りすると、上記の背景もあるものの、職場の人間関係を大切にし友達のように付き合おうとする東大生の傾向が大きく影響している、ということが明らかになりました。この傾向は、仕事は仕事だとビジネスライクに割り切る北京大生とは、まさに好対照をなすものとなりました。

 

●本当の気づきとは

 上の要旨のみを一読すれば、議論がスムーズに進んでいるように思われるかもしれませんが、実際は紆余曲折・試行錯誤の連続でした。議論に費やした時間に比して得られた結果があまりに少ないのではないか、そのような批判を免れることはできません。

 しかし、議論が進展せずにもがく、この試行錯誤の過程こそが、私にとっては大きな気づきを与えてくれる機会であったとも思うのです。最初の二日間、事前に準備した議論のフレームワークを北京大生に納得させようとするあまり、北京大生と一緒に議論を作る過程を楽しむ意識が、いつしか欠落していました。その時に聞いた、「まずは相手の考えを受けとめること」という代表のアドバイス、「今の議論には笑顔がないよ」という他参加者のつぶやき。これらの言葉は、自分が如何に独りよがりに言いたいことを言って自己満足に浸っていたか、ということを痛感させてくれたのです。

 京論壇の特徴、本音の議論。私はその意味を履き違えていたようです。周りの意見を聞かずに自分の言いたいことを辺り構わずぶちまけるのではなく、周りの意見を受けとめ共感を示すこと。周りが本音を言わないのを責める前に、自分が周りの本音を引き出せていないのだと恥じること。当たり前に見えてすこぶる難しいこれらのことを気づかせてくれた、京論壇という場に改めて感謝したいと思います。

 

 閑話休題、やがて東京セッションが始まります。優秀な人々に囲まれてあと一週間議論ができる幸せ、またそのような贅沢を支援してくださる大勢の方々のご厚意を胸にしまって、全力投球していきます。

 

文責:小野顕(若者分科会参加者)