若者の明日は変えられたか

若者分科会の井上です。

去る10月5日、京論壇2014の集大成である最終報告会が行われました。
当日は来賓の皆様をはじめ、豪雨の中たくさんの方にお越しいただいたことで、温かいご支援あっての活動であることが身に沁みました。本当に、ありがとうございました。

 

◎自分が熱くなれるテーマは何か

この日に至るまでの一週間の東京セッション中、若者分科会ではとある変化が起きていました。

それは、「共に創り上げている」という感覚。

北京セッションでの私たちのつまずきの一要因は、北京大生が求めているものを表面的にしか理解しようとせず、議論が噛み合わなかったことにありました。「議論を通して社会問題への解決策を考えたい」という北京大生の意気込みに、「彼らはネットで検索すれば出てくるような、日中間のわかりやすい違いに飛びついて満足してしまうのではないか?」という疑念を抱き、説得にやっきになっていたのです。

しかし、東京セッションの初め、「人生のゴールを設定するのとしないのとでは、どちらがいい?」という質問で北京大生の意見が分かれて以降、東大生と北京大生、入り交じって賛否の議論が白熱するようになりました。
この質問は抽象的で、日中の社会差を特に意識してはいませんでした。にも関わらず、参加者誰もが当事者としてこだわりをもつテーマを持ち出すことで、全員が積極的に口を開き始め、人生の指針や夢を語り合う場が自然と出来上がっていったのです。

それ以降、議論は全員の共同作業なんだなと実感するようになりました。
議論の口火を切るためのキークエスチョンを皆で推敲し合い、大学問わず自分と異なる意見を真剣に理解しようとしていました。言葉に表しきれない想いに、見ていた北京大生が「I understand your point.」と助け舟を出して補足してくれたことも何度もあります。議論が停滞して雰囲気が重くなったときは、皆で一曲踊って盛り上がることも忘れませんでした(笑)。

 

◎やがて見えてきた「社会」の実像を映し出す体験

その一方、個人の感性をぶつけ合う中で、やはり背景の違いからくると思われる人生経験の違いに目を向けざるを得ないことにも気付きました。

たとえば、政治に対する意識の違い。日本の若者の間で、選挙の結果が政治を変えるという実感が低いことが課題として挙がると、中国ではシステムこそ民主的でなくても政権に人民が影響を及ぼしている実感がある、との反応。
中国の若者が改革開放後の経済成長の恩恵を受け、さらにSNSの発信力を備えた最初の世代であることを考えると、一党体制でも自分たちの意見を政治に反映させられるという自信・安心はある程度説明がつくことなのかもしれません。

もちろん個人の意見から敷衍して社会分析をすることに危険はあり、それは全員が分かったうえで進めていましたが、東大生・北京大生間の姿勢の違いが感じられる場面は多く興味深かったです。

 

◎私たちが京論壇で目指したもの

京論壇で、社会に還元していくべきものとは何だろう。

若者分科会はこの問いに繰り返しぶち当たってきました。

学生の感覚の議論で、学者が論文に書くような発見をすることは困難です。それでは何が大事かといえば、「相手のリアルを捉えること」「自分では思いもよらなかったような、思考の制約条件に気付くこと」に尽きるのだと思います。

最終発表では、個々の知識としての発見を並べるだけでなく、このことの価値を大きなメッセージとして伝えさせていただきました。
参加者一人一人が自分の常識を変えていくことの大切さ、それが可能であることを、少しでも感じ取っていただけたなら幸いです。

北京大生との解散間際に議長が言った「My goal is that we become a family!」という名台詞は忘れられません。どこまでも、青臭い分科会だったなと思います。でもその空気を、北京大生も東大生も確かに共有していました。

相手への共感とそこから生まれる学びのプロセスを通して、若者はよりよい未来を創ることができる。この実感を大切に、日々を過ごしていく所存です。