京論壇の責任とは

■京論壇2014を終えて

こんにちは。京論壇2014社会的責任文化会メンバーの南です。
社会的責任分科会としてファイナルプレゼンテーションを終えて、
ようやく京論壇を通じて私が学んだこととは何だろうといったことを考える時間も増えています。

京論壇の本セッションを通じ、速いテンポの英語や『価値観の議論』という私にとっては初めての議論に戸惑い
予想とはずいぶん異なる実際の議論に苦しみました。

本日は社会的責任分科会として達成できたこと、できなかったことを一参加者の視点から綴らせていただきます。


■『社会的責任』概念の共通性・個別性を探れたか

議論最終日に、自分たちにとっての社会的責任の振り返りをする時間をとりました。
社会的責任の果たし方を
①責任意識(何かしなければという想い)
②行動(実際に責任を果たすためにとっている行動)
③結果(その行動の結果)
の3つのプロセスで捉えたとき、どのプロセスが大事か。
自分たちにとって責任を負っている社会とは何か。等の問いに答えることでそれぞれが自分たちの学びや変化を共有しました。

議論の中で【行動】が自分にとって重要だという結論にたどり着いた参加者もいれば、
他人にとって国家がこれほど重要だったとはという発見をした参加者もいました。
全員に共通する認識の確認やこれら個々の発見は一つの成果だと思います。


ただ、なぜその要素が自分にとって重要なのかという個々の背景についてはあまり深く追及できなかった印象があります。
一つの原因としては、社会的責任という言葉があまりにも抽象的で自分の中で固め言語化する作業に相当時間がかかったことが挙げられます。
もう一つは自己開示のむずかしさです。
これはあくまで私の主観ですが、難しい議論が飛び交っている最中、出会って間もない友人らに自分の根幹にかかわる話はなかなかできないと感じました。
というのも、社会的責任についての議論では個々の正義感が現れるために、自分の根幹部分を表明しなければならないからです。

議論を通じ日中大学生の個人の感性を深く読み解く、というところまで議論を深めきれなかったのが残念です。


■日中大学生の相互理解は深まったか

それでは日中の相互理解は深まったといえるでしょうか。

議論を通じて北京大と東京大がぶつかることが幾度かありました。
議論方法についても、内容についても、まとめ方についても。
誤解が元だったとはいえ、プレゼン方法についての議論で北京側から出た
「あなたたちの提案なら上手なプレゼンはできるかもしれないけど、それには嘘が入っている。私はプレゼンで嘘は絶対つきたくない」という意見は私の記憶に強く残っています。
衝突が生じるたびにお互いが納得できる妥協点を両大学のほうから提案し、模索している様子が見られました。


もちろんこれを一概に日中の違いの克服とは言えません。
ですが、ここには重要な点があったと思っています。

それは、そもそもぶつかることができたことです。
相手の文化や意見をそのまま受け入れることは、理解ではありません。受容です。
相手の意見を聞いて、ああ君はそうなのかと聞くだけでは相手に自分を理解してもらう機会を逃してしまいます。
また自分が自分の意見をきちんと伝えないことは、相手が他人の意見を知る機会を奪っていることであるとも言えます。

ぶつけたあとどこまで自分たちの意見を主張するかは東大内でも意見はわかれていましたが、最初の『ぶつける』という段階は"ある程度"クリアできていたと思っています。

では具体的にどこで"ある程度"という限界を感じてしまったかというと、お互いへのフィードバックをするときでした。

日本側参加者同士だと数か月一緒に準備してきたこともあり、ある程度きつい言葉をお互いに言うこともできていました。
ところが北京側参加者には相手から「私話しすぎかな」とフィードバックを求められたとき、つい「でも議論のはじめに意見を言ってくれて助かってるよ!」
などポジティブなフィードバックしかなかなかできない自分を見つけました。
これは他の参加者の多くにも共通していたと思います。

こうした些末なところで遠慮してしまうということは、まだ互いの本音に近づくには少し遠いと感じました。

■京論壇の責任

総じて、日中のリアルに近づくことができたかというと
あともう1週間あれば。という思いが個人的にはとても強いです。

結局一部の大学生が、社会的責任という限られたトピックを話すだけで、日中の違い等が全て明確になるとは思いません。
ですが、日中の違いに関して取り組む姿勢と経験はできたと思います。
そしてその姿勢を保ち経験を活かすことは社会が急速に拡大していく中に生きる私たちの最低限の責任だと思います。

自分たちが得ることができたものは、社会に活かしていくこと。
自分たちが得られなかったものは、京論壇2015に活かしていくこと。

これが私たち京論壇の責任の果たし方です。
京論壇2014は幕を閉じましたが、今後もこうした考えを持ち続けられるメンバーであり続けたいと思います。